1 「発症したから症状が生じる」の誤り
加害者側の医学意見書は、被害者に対する診断を否定してその症状を否定するものが非常に多く見られます。しかし、「診断は誤りである。よって、その症状は存在しない。」との理屈を見抜かれては裁判官を騙せません。そこで、医学意見書では練りに練った巧妙な表現を用いて裁判官を診断の検討に誘導します。この点は「なぜ診断を検討するのですか」の項目でも述べました。そのうちの1つが「因果関係をメカニズムにすり替える理屈」(メカニズムの解明への誘導)です。
例えば、「本件では原告は交通事故後にRSDという特殊な傷病を発症したために、RSDに由来する症状として重度の関節拘縮という異常な症状を生じるに至ったと主張する。よって、重度の関節拘縮が生じたとするためには、原告がRSDにり患していることは必須の前提条件となる。」との理屈です。
加害者側の医学意見書はこのような巧妙な理屈を多数述べることにより、裁判官を騙そうとします。しかし、上記の理屈は結局のところ「診断が正しいといえなければ症状は認められない。」との誤った理屈です。
ところが、この誤り指摘しても、「RSDによる症状が生じたとするためには、RSDを発症したことが必須なのは当り前ではないのか」との考えを変えられない裁判官もおられるようです。この「発症したから症状が生じる」との理屈はかなり強力なようですが、理論的に細かく考えると、やはり正しくありません。
2 「原因なければ結果なし」の誤り
上記の理屈は、「RSDという原因が存在しなければ、受傷後の上肢の症状の悪化もその基盤がなくなり、症状悪化の結果としての関節拘縮も基盤がなくなる」との考えです。これを「原因なければ結果なし」と言われると、正いようにも聞こえます。
では、例えば、「死亡診断書によると被害者は多臓器不全による死亡ということだが、多臓器不全が確認できない。よって、被害者は死亡していない。」との理屈は成り立つでしょうか。私は成り立たないと思います。死亡の事実はその原因や原因から結果に至る因果経路の探求とは別個に確定できるからです。
確かに、哲学的な思索の上では「原因なければ結果なし」は正しいとは思うのですが、その使い方が誤っています。上記のRSDの例では、RSDの診断の適否とは無関係に関節拘縮の存否は確定できます。通常は関節可動域検査により確認できます。関節可動域の状況は通常は通常可動域検査により確認します。その検査を信用できないとしたことが誤りへの第一歩となっています。
また、「RSDにり患したことにより関節拘縮が生じる」との関係もありません。関節拘縮やその他の症状を生じている状況を評価して、RSDと診断するのであって、RSDが特定の症状を引き起こすわけではありません。加害者側は「発症した」との表現でこの誤りに誘導します。しかも、RSDには必須の症状は1つもありません。RSDと診断された患者の全体から見れば、関節拘縮を生じていない方の方が多いのです。
そもそも原因かどうかが問題となっているのは、RSDではありません。交通事故訴訟では、被害者の後遺障害について事故との因果関係が問題となることはあっても、その因果経路である特定の傷病名が問題となるわけではありません。即ち、RSDは原因ではなく因果経路です。因果経路を原因と勘違いするのは、「因果関係をメカニズムと取り違える誤り」です。因果関係を判断するためにメカニズムを解明する必要はありません。
3 メカニズムの解明を求める誤り
世の中には多種多様の交通事故があり、被害者の受ける傷病も多種多様です。交通事故の後で鎖骨骨折や大腿骨骨折が確認されれば、その鎖骨骨折や大腿骨骨折はほとんど無条件で交通事故により生じたとされます。なぜならば、「その交通事故以外にその傷病を生じさせた原因を考えることはできない」との思考から、即座に交通事故により生じたと判断できるからです。
これに対して、被害車両と加害車両の速度、衝突したときの角度、相互の車両の重量や強度、衝突時の被害者の姿勢、被害者の骨の強度などの様々な事情を全て証明して、その事故が大腿骨骨折を生じさせる具体的なメカニズムを解明して、「その事故により大腿骨骨折が生じるべくして生じた」との因果関係を証明することは、不可能です。
世の中で生じる膨大な数の交通事故とこれによる膨大な数の傷病との因果関係は「その事故以外の具体的な原因を考えることができるか」との視点で因果関係が判断されています。これに対して、メカニズムを解明しない限り因果関係を認めることができないとすることは誤りです。この理屈は最高裁判例で繰り返し認められてきました。
4 ルンバール事件判決(最高裁昭和50年10月24日判決、民集29巻9号1417頁)
この事件では、被害児の容態の急変や障害が残ることになったメカニズムは4回の鑑定(差戻審での2回の鑑定も同様)において不明であるとされ、このため鑑定ではルンバールの投与との因果関係は否定的とするものが趨勢でした(小林秀之『新証拠法』36頁以下)。それゆえに高裁判決はメカニズムの解明に拘ってルンバールの投与と被害児の障害との因果関係は認められないとしました。
最高裁判決は、メカニズムの解明に拘って因果関係を認めなかった高裁判決を否定して、「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。」との一般論(高度の蓋然性)を述べました。
その上で、ルンバール投与前の被害児の症状の改善傾向や、投与直後の容態の急変などの事情により、ルンバール投与と被害児の後遺障害との間に高度の蓋然性が肯定できるとしました。これは因果関係についての一応の証明ないし表見証明に位置づけられます。
さらに、「他に特段の事情が認められないかぎり、経験則上本件発作とその後の病変の原因は脳出血であり、これが本件ルンバールに因って発生したものというべく、結局、(被害児)の本件発作及びその後の病変と本件ルンバールとの間に因果関係を肯定するのが相当である。」としました。
5 保育園保母事件(最高裁平成9年11月28日判決、労働判例727号14頁)
保育園の保母が就職して12年後頃から慢性的肩こりの症状が悪化して頸肩腕症候群となったのは、保母業務によるものであるとして市に対して安全配慮義務違反で提訴した事件です。
最高裁判決はルンバール事件判決を引用して高度の蓋然性の一般論を述べて、保母業務は乳幼児の抱き上げなどで上肢・頸肩腕部にかなりの負担がかかると認定して、頸肩腕症候群の発症ないし増悪との関係に因果関係を肯定できる高度の蓋然性が認められるとしました。
その上で、「他に明らかにその原因となった要因が認められない以上、経験則上、この間に因果関係を肯定するのが相当である」としました。
6 バレーボール事件(最高裁平成18年3月3日、判時1928号149頁、判タ1207号137頁)
この事件では当時44歳の被災者が公務として行なわれたバレーボールの試合に出場し、2セット目が終了した直後に呼吸困難に陥り、まもなく死亡し、死因は心筋こうそくとされたとの事情のもとで、被災者の死亡とバレーボールの試合に出場したこととの相当因果関係(公務起因性)が争点となりました。原審は、被災者は持病により心筋こうそくを発症する可能性が高い状態にあり、たまたまバレーボールの試合に出場したことが契機となったに過ぎないとして、相当因果関係を否定した。
これに対して、最高裁は、①被災者は昭和57年に心筋こうそくの診断を受けた後、昭和59年6月まで休職、入院、手術を繰り返していたが、それ以降は、死亡した平成2年5月まで力仕事は避けていたもののその余は通常どおり勤務し、その勤務状況は良好であり、病気により休暇を取得することはなかったこと、②死亡の約3年前に行なわれた運動負荷検査の結果、被災者に狭心症状等は認められず、日常生活、事務労働、車の運転等の中程度の労働まで許容することができるとされていたこと、③死亡前年にはソフトボール大会に代打として出場し、ホームランを打った後一塁の守備についたことがあったこと、④死亡前の約6年間に被災者が狭心症状等を起こした旨の記録は存在しないことなどを指摘して、被災者の死亡とバレーボールの試合に出場したこととの間に原則的に相当因果関係の存在を肯定することができるとしました。
その上で、被災者の心筋こうそくについて、確たる発症因子がなくてもその自然の経過により心筋こうそくを発症させる寸前にまで増悪していなかったかどうかについて充分に審理しなかったことにおいて原審には法令の違反があるとして、バレーボール以外の他原因を検討するべく、差し戻しました。
この事件では心筋こうそくが生じたメカニズムが不明であっても、全体的観察からはバレーボールの試合への出場が大きな原因であることは明らかでした。最高裁判決は、この状況においても他原因(持病)が本当の原因と主張するのであれば、それを主張する側がその他原因が相当程度の可能性でバレーボールの試合とは無関係に心筋こうそくを生じさせるほどに悪化していたことを証明しなければならないとしたのです。
7 B型肝炎事件判決
(最高裁平成18年6月16日、民集60巻5号1997頁、判時1941・28頁、私法判例リマークス35・58頁)
この事件では原告らが幼少期に接種した集団ツベルクリン反応検査や集団予防接種により、B型肝炎ウィルスに感染したと主張しているところ、原告らがB型肝炎と診断されたのはそれから10年から20年ほど経過した後のことです。このため予防接種を受けた具体的時期やその後の発症までの症状の経過などはほとんど証明されていません。
最高裁判決は、ルンバール事件の上記の準則(高度の蓋然性)を述べた上で、「本件集団予防接種等のほかには感染の原因となる可能性の高い具体的な事実の存在はうかがわれず、他の原因による感染の可能性は、一般的、抽象的なものに過ぎないこと等を総合すると」と述べて、集団予防接種等と感染との間の因果関係を肯定した。
この判決は、因果関係判断における他原因考慮をはっきりと述べています。即ち、因果関係の存在について一応の推定が成り立つ状況において、他に原因となる可能性の高い具体的な事情の存在が認められなければ、因果関係を肯定できるとの理屈です。
8 最高裁平成11年3月23日判決(判時1677号54頁、集民192号165頁)
この事件では、高裁判決が一般的・抽象的な他原因の存在可能性のみで因果関係を否定したのに対して、最高裁判決は「他の原因による血腫発生も考えられないではないという極めて低い可能性があることをもって」、「発生した血腫の原因が本件手術にあることを否定した原審の認定判断には、経験則ないし採証法則違背がある」としました。一般的・抽象的な他原因の存在可能性で因果関係を否定することは、他原因考慮そのものを否定することに他ならないので、この判決の結論は妥当と言えます。
9 まとめ
以上の各最高裁判例からは、以下の準則が認められます。最高裁判決の準則はごく常識的なものです。
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原因が結果を生じさせた具体的なメカニズム(機序)の解明は必要ではない。
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メカニズムが不明であっても、訴訟に現れた全ての事情を総合すると原因と目される事情が結果を生じさせたと判断できる場合には、因果関係についての一応の証明ないし表見証明があったものとみなすことができる。この一応の証明は、確実なものである必要はなく、「高度の蓋然性」(80%ほどの証明度)で足りる。
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因果関係についての一応の証明がある場合には、これを否定する側において「より可能性の高い具体的な他原因」により結果が生じたことを相当程度に主張・立証する必要がある。他原因により結果が生じた可能性を抽象的に示すだけでは足りない。
以上からは、ルンバール事件判決が述べる、「通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるもの」とは、一般的抽象的に「他にも原因がありそう」との感覚(抽象的な疑い)が残るのみでは足りず、具体的な他原因を挙げて「こっちの原因により結果が生じた可能性の方が高そうである」との具体的な主張ができるほどの「具体的な疑い」を意味するものと言えます。
10 概括的認定について
上記の最高裁判決の準則の骨子は、概括的認定においても用いられています。概括的認定とは、「①結果が発生している。②原因としてA、Bが考えられ、それ以外の原因は考えられない。③原因がA、BのいずれであってもYの責任が認められる。④よって、原因がA、Bのいずれであるかを確定することを要せずして、Yの責任を認めることができる。」との認定方式です。
概括的認定を採用したものとして最高裁昭和32年5月10日判決(民集11巻5号712頁)、同昭和39年7月28日判決(民集18巻6号1241頁)、同平成9年2月25日判決(民集51巻2号502頁)などがあります(『ジュリスト増刊、判例から学ぶ、民事事実認定』66頁、『事実認定の考え方と実務』41頁、同48頁)。
また、最高裁昭和57年4月1日判決(民集36巻4号519頁、判時1048号99頁)も公務員の一連の行為についていずれの公務員のどのような違法行為かを特定できなくとも、いずれかに違法行為がなければ被害が生じることがなかったことが認められれば足りるとの趣旨を述べる。
結果を生じさせたメカニズムの解明過程において、原因がいくつかに絞られたが、それ以上の解明が出来なかったことが概括的認定の前提となります。
原因として絞り込んだ対象(上記の例ではA、B)の他に、可能性の高い具体的な他原因が認められない場合には、その絞り込んだ対象のなかに原因が存在するとされます。この部分はまさに他原因考慮についての上記の最高裁判例と同様の意義があります。