以下では、虚偽ないし根拠薄弱な医学的知見のことをウソ医学といいます。ウソ医学を用いる医学意見書は、特殊な騙し理屈を多用していることが通常です。以下では、これをウソ理屈といいます。
私は交通事故の判例集(交通事故民事裁判例集、自保ジャーナル)を講読していますが、医学的争点について判断した裁判例のほとんど全ては多種多様のウソ医学に騙された判断をしています。それらの裁判例ではウソ医学に引き込むための多種類の特殊な理屈(ウソ理屈)を取り入れていることが通常です。
ウソ医学とウソ理屈
ウソ医学とウソ理屈
以下では、虚偽ないし根拠薄弱な医学的知見のことをウソ医学といいます。ウソ医学を用いる医学意見書は、特殊な騙し理屈を多用していることが通常です。以下では、これをウソ理屈といいます。
私は交通事故の判例集(交通事故民事裁判例集、自保ジャーナル)を講読していますが、医学的争点について判断した裁判例のほとんど全ては多種多様のウソ医学に騙された判断をしています。それらの裁判例ではウソ医学に引き込むための多種類の特殊な理屈(ウソ理屈)を取り入れていることが通常です。
医学的な争点が問題となる交通事故訴訟においては、加害者側は被害者の後遺障害を否定する主張や、事故と後遺障害との因果関係を否定する主張をすることが非常に多いです。そのために被害者の通院先の医師が認めた症状を否定し、担当医がなした診断を否定する医学意見書が出されることが通常です。
これはおかしなことです。重い後遺障害を残した被害者について、実際に診察した複数の医師がその症状を認めている場合には、その症状が現実にも存在することが、普通でしょう。医師が被害者の症状を誤診したということは考えにくいことです。これに対して、恒例行事のように複数の医師の診断を全否定する医学意見書が訴訟で提出されることは、あまりにも不可解です。
さらに問題であるのは、訴訟でそのような主張が出されることを見越して、被害者の後遺障害を否定する自賠責の等級認定がなされることが広く行われていることです。
実際には、加害者側(損保側)は被害者の症状(後遺障害)を否定するために、虚偽ないし根拠薄弱な医学的知見(ウソ医学)を多用し、特殊な騙しの理屈(ウソ理屈)を併用します。裁判例では多くの裁判官が入れ食い状態でこれに騙されていることが確認できます。
私は医学的争点のある交通事故訴訟を多数経験してきましたが、加害者側(損保側)が提出した医学意見書で、その名義人の医師自身が単独で作成したと信じることができたものは1通もありません(これはあくまで個人の主観です)。判例集に掲載されている裁判例を見ても、誤った医学意見、根拠薄弱な医学意見、奇妙な理屈を述べる医学意見などの到底信じることができない医学意見に騙された裁判例が圧倒的大多数を占めます。
ウソ医学には古くからの定番のもの、新しく考案されたものなど多種多様なものがあり、そのウソ医学を支える騙しの理屈(ウソ理屈)にも多種多様なものがあります。多数のウソ医学と多数のウソ理屈はあたかも2つの車輪のように相互に支え合って特殊な全体像を作り出しています。そのため医学的知識を習得しただけでは、加害者側(損保側)の主張に対抗できません。加害者側の主張に対抗するためには、加害者側の用いる騙しの理屈を理解した上で、その誤りを裁判官に理解してもらう必要があります。
私は「名古屋の弁護士による交通事故ブログ」で主としてCRPS(複合性局所疼痛症候群、RSD、カウザルギー)に関連する50件ほど(令和元年6月時点)の裁判例について検討して、意見を述べてきました。
驚くべきことに、ほとんどの裁判例で裁判官はウソ医学とウソ理屈に完落ち状態で騙されています。加害者側のウソに入れ食い状態で騙されています。この事情はCRPSの事案のみならず医学的争点のある他のほぼ全ての交通事故訴訟においても同じです。ウソ医学とウソ理屈には多種多様なものがあり、2~3個のウソ医学やウソ理屈を乗り越えても、その先にも多数のウソ医学やウソ理屈があり、その前提にもウソ理屈が存在するという状況が存在するからです。
自賠責での後遺障害等級の認定基準の訴訟での位置づけ、他覚的所見の意味、労災や自賠責では診断の適否を検討しない(できない)こと、診断の適否により症状の有無や程度は影響されないことなどのごく基本的な部分で縦横無尽にウソ理屈が主張されています。しかも、自由心証主義や証明度などの民事訴訟法の基本原則を逸脱するように誘導する巧妙なウソ理屈も多用されます。このため前提部分のどこかで騙されている裁判例が大多数でまさに裁判官は入れ食い状態で騙されています。
医学的知見に関しても、「CRPSには必須の症状が1つたりとも存在しない」、「労災・自賠責のRSDの3要件は診断基準ではない」、「労災や自賠責では診断の適否を検討しない」、「診断の適否の判断により症状の有無や程度は影響されない」などのごく初歩的な常識さえも知らずに騙されている判決も非常に多く見られます。その先の医学的知見に進む以前にすでに完落ちの状態となっているのです。このような事情は私のブログ(名古屋の弁護士による交通事故ブログ)で繰り返し述べてきました。
ウソ医学やウソ理屈が訴訟で用いられ始めたのは最近のことではなく、昭和40年代~50年代の裁判例においても理解し難い医学的主張やおかしな理屈が用いられたものが散見されます。それらの主張が鑑定書で述べられていることも少なくありません。これらがさらに巧妙化、複雑化し、平成に入ってからより精緻な理屈として組み立てられてきた経緯があります。
疾患ごとに加害者側が用いるウソ医学やウソ理屈が定番化していて「セット」として主張されることも多くみられます。
ウソ医学は医学的根拠を欠くのみならず、独特かつ特殊な主張であるため、そのウソ医学やウソ理屈をセットで用いる医学意見書に対しては「本当に医師が書いたのであろうか。専用のプロのゴーストライターが書いたのではなかろうか。」との疑問が当然に生じます。
本物の医師が体系化された騙しの理屈を身につけているとはとても考えられないからです。
ウソ医学に対抗する正攻法は、医学文献を証拠として提出して加害者側の主張する医学的主張が誤りであることを主張することです。私は医学的主張を充実させるために医学文献を徹底して収集して読み込み、詳細にその主張を行なってきました。ウソ理屈に対しても、その理屈のどこに問題があるのかを指摘することが正攻法です。その結果、ほとんどの事件で私の主張は認められてきました。
ウソ医学は主として医学意見書で主張されます。そこで加害者側から医学意見書が提出された場合には、その名義人に対して、①自分が資料の読込みから文字の打ち込みまで全て1人で行なったかどうか、②補助者が存在するのであればその者の氏名や所属する医療機関等を明らかにするように要請(求釈明)します。この方法については「損保側医学意見書への対応法」としてブログでも述べました。
私は、加害者側がこの質問に適切に対応した事案は今まで1度も経験したことはありません。名義人の医師が「私が単独で作成しました。補助者はおりません。」と回答することは即座に可能なはずですが、その回答がなされないという異常事態を毎回経験しています。これでは、「もしかして特殊で独特なウソ医学やウソ理屈を主張するための専用のゴーストライターが医学意見書を作成しているのではないか」と疑うほかないと思います。
事件によっては5回10回と繰り返し上記の釈明を求めたこともありますが、加害者側は答えられません。医師名義の回答書を出さずに、準備書面で「誠実に作成した」などと述べて何とかごまかそうとするばかりです。この状況に至れば普通の裁判官は「その医学意見書の内容には疑問がある」との心証を抱きます。実際にも上記の求釈明をした事案では裁判官の9割以上はその医学意見書の証拠能力を否定したと考えられます(判決で引用しなかった)。
困ったことに、医学文献を提出してごく初歩的な医学的常識を主張した場合においても、裁判官の中には頑としてそれを受け入れずに拒絶される方もおられました。おそらくその裁判官は過去においてウソ医学やウソ理屈に完落ち状態で騙されて、それを信じきった判決を何回か書かれたと推測できます。
自分が騙されたことにより、重度の後遺障害を負った被害者が訴訟で二次被害を受けた(実質的に詐病と認定された)ことを直視できないのでしょう。判決の中に私の主張(被害者側の主張)がほとんど引用されず、主張それ自体がなかったことにされたこともあります。
この事件では何回も繰り返した医学意見書に対する求釈明に加害者側が応答しなかったにも関わらず、
私が述べた反論には一切触れずに、医学意見書が述べる結論だけを列挙した判決が出ました。
このような対応はごく一部の特定の裁判官に集中する傾向があります。
しかし、当事者(被害者側)の主張それ自体を無視して引用すらしないことは裁判の公平・中立性の観点からは問題があります。被害者本人からは「あの裁判官は絶対におかしい。偏っている」と見られることになり、司法に対する信頼が揺らぎます。
ところが、この場合に被害者側が裁判の公平・中立性に疑いがあるなどと主張することは裁判官に対する個人攻撃であり、私を含めてほとんどの弁護士はそのような主張はしません。何を言っても聞いてくれない裁判官に対しては、ほとんど打つ手がありません。「何を言っても聞いてくれない状態」にさせないことこそが重要であると思います。
そのためには、訴訟の早期にウソ医学やウソ理屈の問題点を指摘する主張を出す必要があります。裁判官の心証が固まる前に重要な主張を出すという戦略です。
しかし、この方法では私の担当した事件より前の同種事件で、ウソ医学やウソ主張に騙されて信じきった裁判官にはあまり効果はありません。私以外の弁護士も私と同様の問題意識を持って訴訟でウソ医学やウソ理屈に対抗する主張をしてくれなければ、これ以上の効果は見込めません。私がブログを始めたのはこのような意図もあります。
加害者側の医学意見書に対する求釈明をしたけれども、加害者側が適切な回答をしてこなかった場合には、請求の追加で対応することもできます。即ち、「求釈明に回答しないことにより、その医学意見書に形式的証拠力が認められるかどうかが不確定の状況で反論を強いられたことによる精神的苦痛」を主張して、これによる損害賠償を追加するという方法です。
この方法の長所は、被害者側が医学意見書に対する求釈明をしたにも拘らず、名義人の医師が本当に単独で作成したのかどうかを回答しなかったことが、上記の判断の前提として必ず判決文に記載されることです。
私の経験では、この請求を追加しなかった場合には、ほぼ全ての事案で上記の求釈明に加害者側が応答しなかったことは判決文に記載されませんでした。そのような判決でもほぼ全ては医学意見書の形式的証拠力(証拠としての価値)を認めていないのですが、ごく一部の判決は医学意見書の形式的証拠力を認めていました。この事態を避けるためには、「上記の求釈明に回答しなかったこと」(形式的証拠力を否定するべき事情)を判決文に記載させることが有効です。
この方法の短所は、ウソ医学を信じきった「完落ち」状態の裁判官の対応をより頑なにさせる場合があることです。
完落ち状態の裁判官は、「その医学意見書は名義人本人が書いていないとしても、その助手的な立場の医師が書いたものであろう。
それを名義人の医師がチェックしているはずである。従って、厳密には本人以外の補助者がいるけれども、それを明らかにできないだけである。」
と信じ込んでいる節があります。これは、「洗脳に陥った者はその洗脳を維持するための思考のみが可能である」と説明される状況です。
しかし、完落ち状態の裁判官は上記のような考えから、私に対して「意見書や鑑定書を執筆した医師に対して執拗に個人攻撃をくり返している悪徳弁護士がいる。」
といった心証になるようです。
従って、「意見書に対する求釈明に応じなかったことによる慰謝料の増額」を求める請求の追加をした場合には、逆効果となる場合もあります。
結局のところ、「ウソ医学を完落ち状態で信じ込んでしまった裁判官の脱洗脳は極めて難しい」というのが、私のこれまでの経験です。
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