弁護士による交通事故ブログ (転載禁止)

高次脳機能障害の裁判例の実情等

ア 低髄液圧症候群、脳脊髄液漏出症、脳脊髄液漏出症とは?

 低髄液圧症候群のもとになる概念は古くからありましたが、それがむち打ち損傷との関係で注目されるは 2001年に篠長正道らが「頚椎捻挫に続発した低髄液圧症候群」と題する学会報告をしたことに始まります。 当時はむち打ち損傷で多く発生するような印象での扱いでした。
 但し、疾患概念が不明確ないし混乱していて、①国際頭痛学会の国際疼痛分類、②日本脳神経外科学会の診断基準、③篠長教授らの研究グループによる ガイドラインの間で、主要症状、画像診断基準などがバラバラの状態にあります。その他、④モクリ教授の研究もあります。
 さらに⑤厚生労働科学研究補助金による嘉山孝正教授らによる研究事業である「脳脊髄液減少症の診断・治療の確立に関する研究」もありますが、 いまだに意見の一致を見ていません。
 従って、どのような症状が典型症例であるのか、その診断はどのような基準・指標で行うのかという基本的なことがらが定まっていません。
 「低髄液圧症候群」に対して「脳脊髄液減少症」との病名が出されたのは、髄液が漏れていても髄液圧が正常な症例もあるとの理由です。 「脳脊髄液漏出症」との病名は「脳脊髄液が減少している」というのは推論でしかないとの考えによるものです。


イ どのような症状が生じるのですか?

 上記のとおり、典型症例としての全体像は定まっていません。但し、起立性頭痛はどの学説も認める症状です。それ以外の症状については、定まっていません。


ウ 交通事故事案の特徴

 交通事故訴訟で争われる脳脊髄液減少症の事案は、それ以外の傷病の主張が含まれている事案も多く存在します。
例えば、脊髄損傷、頚髄損傷、高次脳機能障害、胸郭出口症候群などです。あえて脳脊髄液減少症を持ち出さなくとも それらによる説明可能な症状が多い事案が少なくありません。
 一方で、上記の各傷病による症状であるとの主張が認められにくい類型の事件が多く、そのため脳脊髄液減少症による症状として、 上記の傷病がカバーすべき症状をも主張しているとも言えます。
 個別の症状のうち、上肢のしびれ、痛み、脱力や頭痛、頚部痛、肩部痛などは胸郭出口症候群の典型症例として説明できます。 実際にも、胸郭出口症候群との診断を受けている事案も少なくないのですが、脳脊髄液減少症の診断を受けた事案では、 胸郭出口症候群の診断根拠がはっきりしないものがほとんどであるとの印象を受けます。一方で、脳脊髄液減少症によってもこれらの症状が出ていると 主張しているものがほとんどです。
 目の焦点が合わせにくい、ものがぼやけて見えるなどの目の不調は、胸郭出口症候群でも出現する症状ですが、 むち打ち損傷によるバレリュー症状として古くから認められてきたものです。脳脊髄液減少症と診断されると、 これも脳脊髄液減少症の症状であると主張している事案がほぼ全てです。
 他の傷病では説明しにくい症状として、全身倦怠感や体がだるくて活動できないなどの症状を主張している事案が少なくありません。 しかし、脳脊髄液減少症の典型症例ではないため、脳脊髄液減少症を認めるかどうかとは、異なる次元で問題があります。
 以上のほかに、頭痛が酷くて寝込むことが多いという症状を脳脊髄液減少症による症状として主張している事案も多いです。 この症状は起立性頭痛に関連する症状として主張しやすい面があります。
 全体としてみると、多彩な症状が主張されていて、他の傷病との区別がはっきりしない事案が多く、 主張する等級も12級程度から4級程度までと様々です。従って、裁判例からは、「これが脳脊髄液減少症の症状である」という疾患としての 具体的な全体像が見えてきません。


エ 自賠責保険の後遺障害等級認定

 脳脊髄液減少症による症状として主張しているものは全て自賠責では認められていません。胸郭出口症候群も元々自賠責ではほぼ全部認められていないので、 これによる症状は非該当ないし14級となります。
 高次脳機能障害は自賠責の基準を満たさないとされているものがほとんどで、頚髄損傷も自賠責で否定されているものがほとんどです。
 全体的に見ると、脳脊髄液減少症を主たる診断の1つにしている事案は、他の傷病の診断を受けてもその診断は無視されやすいとの印象を受けます。


オ 訴訟での現状

 訴訟では、脳脊髄液減少症を認める事案は極めてまれで、ほぼ全件が被害者敗訴事案です。 認めた裁判例(名古屋高裁平成29年6月1日判決、自保ジャーナル1995号1頁)は藤山雅行裁判官によるもので、やや難点があります。
 脳脊髄液減少症に胸郭出口症候群の診断が加わった事案も、胸郭出口症候群と診断されたほかの事案と比べると、 検査等が不足していて診断根拠がはっきりしないため、ほぼ全件で胸郭出口症候群が否定されています。もともと胸郭出口症候群の裁判例は 被害者敗訴が多いという事象がありますが、この類型の事案ではそれ以上に敗訴が多いという印象です。


カ 裁判例への考察

 ほぼ全ての裁判例が「診断=症状」の前提で、診断が正しいかどうかの検討をしています。即ち、「診断が正しい。よって、症状が認められる」との理屈です。しかし、これは的外れも甚だしいと思います。診断が正しいかどうかにより、症状の存否は決まりません。死亡診断書の傷病名を否定したら死人が生き返るかのような理屈で判断している裁判例がほぼ全てであるのは異常な事態であると思います。  「交通事故を基点として交通事故により生じるたぐいの症状が出た」との関係があれば、原則として因果関係は肯定できます。この推定を否定するには相手方が実際の診断とは異なる具体例を挙げて反証する義務があります。この場合には症状を説明する新たな具体案が出されるので、いずれにしても被害者の症状は否定されません。  加害者側の医学意見書は、上記の各学会の診断基準の1つ1つに当てはめて診断を否定することがテンプレートになっています。これに誘導されて裁判例でも診断の検討に紙幅を費やしているものがほとんどですが、誘導に騙されて診断を検討してしまったとの感があります。  症状の存否は被害者の受けた治療、通院期間、就労関係への影響、主治医の意見などの様々な事情を全て考慮して判断する必要があります。加害者側はこのうち画像所見だけに着目するように誘導し、その画像の種類も限定します。さらに診断ができるかどうかだけで判断するように誘導しますが、その誘導に騙された完落ちの裁判例が非常に多いとの印象を受けます。


キ 当事務所の成果

 当事務所では脳脊髄液減少症との診断を受けた訴訟案件を3件受任しましたが、いずれも脳脊髄減少症を主たる争点とはせずに 、適切な金額での解決となりました。
 うち2件は被害者側として脳脊髄減少症を無視しても全く問題ない事案でしたので、争点とする必要がありませんでした。 1件は脳脊髄液減少症で説明できる症状もありましたが、他の傷病(胸郭出口症候群)で説明して脳脊髄液減少症は争点としませんでした。 加害者側は医学意見書で脳脊髄液減少症を否定して、それに関連して他の症状を否定する主張をしましたが、脳脊髄液の漏出が確認できる MRI画像を指摘して加害者側の指摘が誤りであることを指摘するにとどめました。
 上記のとおり、脳脊髄液減少症はこれによる症状がはっきりしておらず、訴訟ではほぼ全件が被害者側敗訴ですので、被害者側として この疾患を主たる争点にして主張することは得策ではありません。加害者側の主張には色々と問題が多いのですが、あえてリスクの高い方法を選択することもないと思います。他の傷病で代替できるのであれば、その傷病を選択して、その検査等を増やした方が得策であると思います。


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