ア 胸郭出口症候群とは?
胸郭出口症候群(TOS、thoracic outlet syndrome)は、むち打ち損傷で多く生じる疾患であるとされています。むち打ち損傷について書いてある著書にはたいていは胸郭出口症候群についても触れています。この疾患の手術例の8割が外傷によるとする報告もあります。
この疾患は神経絞扼障害に分類されます。即ち、腕神経叢が絞扼・圧迫されて症状が出るものとされています。腕神経叢が圧迫される部位は3か所あります。斜角筋隙または後頚三角、肋鎖間隙、小胸筋間隙の3つです(『整形・災害外科62巻2号111頁』2019年)。
この3か所のいずれかで腕神経叢(及び近傍の血管)が絞扼を受けることで症状が発生するとされています。
胸郭出口症候群には、胸郭の骨格などに原因がある一次性と頚椎などの傷病から誘発される二次性TOSがあるとされます(『末梢神経の臨床』137頁、2007年)。むち打ち損傷により生じるものは二次性TOSに分類されます。
イ どのような症状が生じるのですか?
頚部・肩の痛み、上肢に脱力、しびれ、知覚異常、浮腫(はれ)、冷感、レイノー現象(冷感などによる皮膚の色調変化)、手指のしびれ(特に第4、第5指)、肩関節の可動域制限などの多彩な症状を生じるとされています。
胸郭出口症候群に手根管症候群が合併し(重複神経障害)、手指全体にしびれや痛みが生じていることが多いです。ある神経が障害を受けてその状況が持続すると、
脳神経のレベルでは興奮抑制系が減弱し(中枢系感作)、抹消レベルでは障害を受けた神経のミエリン鞘がはげて
絶縁が利かなくなって近傍の神経を刺激する状況(エファプス)から、近傍の神経に障害が及ぶ(クロストーク)ことが医学的に認められています。
胸郭出口症候群は両側(両腕)に症状が出ることが多いとされています。おそらくは片方が本当の原因であると思いますが、
上記の理屈で障害が波及するものと思われます。
ウ 交通事故で生じる胸郭出口症候群の症状
交通事故により生じた場合でも上記と症状は同じです。頚・肩・上肢に嫌味やしびれが持続し、腕に力が入らない、
腕が水平より上にあがらないなどの症状を訴える事案が多いです。事故直後から頚や肩に強い痛みを訴える事案もありますが、
事故の1~2週間に痛みが増強して胸郭出口症候群とされる事案も少なくありません。
また、上記同様に、胸郭出口症候群に手根管症候群が合併している事案は非常に多いです。
第1~第4指までの痛み・しびれは手根管症候群で、第4~5指のしびれは胸郭出口症候群であるとする医学書もいくつかあります。
交通事故で胸郭出口症候群が生じて、頚から肩にかけての痛みや可動域制限が生じた事例では、のちに症状が悪化して肩関節だけではなく、
肘関節、手関節にも可動域制限が及んでCRPSと診断された裁判例が少なくありません。私もそのような事件を経験したことがあります。
胸郭出口症候群と診断された時点でCRPSの判定指標を満たす症状が出ている事案もあり、症状が重くならないとCRPSと診断されにくいという印象を受けます。
また、交通事故で発生した場合にも両側に症状が出現する事が多いです。但し、いずれか一方の方が強い症状であるため、
他方が軽視されることが少なくありません。交通事故により生じた胸郭出口症候群に対しては、手術成績が良くない(改善の幅が小さい)とする報告があります。
エ 自賠責保険の後遺障害等級認定
判例集で確認できる事案や私の経験した事案では、胸郭出口症候群と診断された事案では、自賠責で12級を超える後遺障害が認定されることは極めてまれです。
非該当とされている事案も少なくありません。特に、肩関節の可動域制限による後遺障害はほぼ全ての事案で自賠責では考慮されません。
被害者の実態よりかなり低く等級認定されるのが自賠責の実態であるという印象です。
オ 訴訟での現状
胸郭出口症候群の場合、重い事案でも9級前後の後遺障害の主張に留まることがほとんどで、被害者側の主張が12級または14級という事案も少なくありません。この点で4級ないし5級レベルの重い後遺障害が約半数を占めるCRPSとは異なります。
裁判例では被害者側敗訴事案が圧倒的多数を占めます。特に脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)と合併した胸郭出口症候群はその診断根拠がはっきりしないものがほぼ全てで、訴訟でもほぼ全件が診断を否定されて症状が認められていません。なお、「診断=症状」ではありません。訴訟ではこの誤解で判断している裁判例がほぼ全てです。
訴訟では加害者側は被害者の症状を否定するべく医学意見書を出してくることが普通で、それに対応するために相応の医学的知識が必要です。CRPS(複合性局所疼痛症候群)の場合、加害者側の医学意見書が主張する内容はパターン化していたのに比べると、胸郭出口症候群の場合は加害者側の主張はあまりパターン化されていません。
近時は胸郭出口症候群という疾患そのものを否定する極端な異端説を加害者側が有力説であるかのように主張し、それに騙された裁判例も出ていました。
カ 当事務所の成果
当事務所では令和2年までに胸郭出口症候群との診断を受けた訴訟案件を7件受任し、そのうち5件で勝訴判決(勝訴和解)を得ています。相談・示談で終わった事件を含めると、12件ほどとなります。なお、胸郭出口症候群に加えてCRPSとも診断されていた事案は除外しています。
胸郭出口症候群の事案は訴訟では損保側は強硬に反論してくる事案が多く、訴訟に長い期間を要することが多いです。
被害者が重い後遺障害である事案は、裁判所がその症状を認める傾向が強くなり、逆に被害者の主張する後遺障害がそれ程重くない場合、裁判所は症状を認めにくい傾向があると感じます。また、被害者側にうつ病での休職の経歴や転職の経歴などの不利な事情(裁判官はこれを被害者側に格別に不利な事情と見ることがかなり多いです。)があると、裁判所は後遺障害を認めにくくなります。
もともと胸郭出口症候群の事案は、判例集では被害者側敗訴が圧倒的多数を占める事案であり、被害者の主張する後遺障害が低く、被害者側に不利な事情がある場合には、訴訟を避けることも検討する必要があると思います。